1946-1955年「チャレンジの源流」

1946-1955年「チャレンジの源流」

「天龍」の名を掲げ
日本一のバスシートメーカーを目指す

新時代へ踏み出した一歩

戦争の傷跡が日本各地に色濃く残る1946年7月2日。新たな時代への希望を灯して天龍工業株式会社が岐阜の地に誕生しました。当時の主な業務は、川崎航空機から分社した川崎板金の下請作業。農機具や日用品などの板金、溶接部品の製作に励み、戦後の復興へと立ち上がった人々を支えました。そして1948年、川崎板金と川崎鉄工が中心になって乗合バスの生産を始めると、天龍工業は座席のパイプ枠の加工を担当。多くの人に安全と快適を届ける、シートメーカーへの道を歩み出しました。

焼野原に生産拠点を築く

バスシートの一貫生産体制の確立を目指した天龍工業は、1949年に再スタートを切りました。その陣頭に立った若きリーダーが、福西勇社長でした。大空襲により焼野原となっていた岐阜県各務原の土地、約1万坪に、新たな拠点となる三柿野工場を設立。毎月、バス30台分以上のシートが生産されました。社員は「われわれがバス座席を作らなければ!」と使命感を燃やし、当時はまだ珍しかった飛行機や各地のバスに乗っては、よりよいシートを追究しました。

「天龍シート」を全国に広げたい

天龍シートを全国に販売展開し、日本一のシートメーカーにする ―ゆるぎないビジョンを掲げた福西勇社長。1952年、企業基盤を固めるため、「三大方針」を打ち立てました。その内容は《1.天龍独自の設計によるシート製造》《2.新材料を駆使した独自の力による開発と調達》《3.各ボデーメーカーへの営業活動の開始》。研究室や振動試験機などを整え、工学を専門とする社員を迎え入れて、クッションやバネを改良。「Dragon Seat」の愛称で親しまれた、乗り心地のよい天龍シートを日本各地に届けました。

TENRYU WAY―挑む天龍魂

日本でいち早く「FRP」の研究に着手

「鉄より強く、アルミより軽い」というキャッチフレーズで、戦後間もない頃、アメリカから日本に紹介されたFRP。Fiberglass Reinforced Plastics、強化プラスチックであり、軽さや表面精度、耐久性に優れています。その研究に日本で初めて取り組んだのが、天龍工業。1954年、ポリエステル樹脂の成型研究部員が、新時代の素材に対して開発意欲をみなぎらせたことが始まりです。

あの日の天龍

1951年:天龍文化会が発足し、社内に活気があふれる

創業時、十数人だった従業員数は、わずか10年で約90人に。互いに家族ぐるみの付き合いを重ね、心をひとつにして会社の成長を支えました。その象徴が1951年発足の「天龍文化会」です。社内の慰安旅行やクラブ活動などを取りまとめる会であり、当初から従業員が主体的に運営してきました。仲間と和気あいあいと親睦を深める天龍のあたたかな社風は、今もさまざまな活動に息づいています。

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